世の中には強運の持ち主と不運な人、運の良い人と悪い人がいるように見え、「運も実力のうち」なんてことを言いますが、運なんて本当に存在するのでしょうか。
我々はすべて、科学的に確率論に支配された偶然に一喜一憂しているだけなのでは、と思うときもあります。
しかし運は存在し、人生の大部分を支配しているのです。
良いことは連鎖する
私は最近、運が向いてきているのを感じます。審査が次々と通り、空き待ちをしていた部屋に入居でき、魅力的な多くの人と続々出会えています。
そういうときは頭のキレもよく、面白いアイデアを次々と思いつくものです。いわゆる、「ノッテいる」という状態です。
良いことは良いことを呼び、悪いことは悪いことを呼びます。
幸運が続く状態のことを「運を味方にしている」「流れが良い」なんて言ったりもします。
それは気分の問題だけで、単にポジティブな気分の時には良い結果が出やすいし、もしくは良い結果だと感じやすくなるだけなのでは、という気もしますよね。
「成功すれば実力、失敗すれば運」なんて言葉もあったりします。人間とはことほどさように、弱いものです。
運なんてものも、その弱さが生み出した幻影なのかもしれない、というようにも思えます。
運の良い人というのは実在する
私は運や流れについては否定的でしたが、40年近く生きてきて、また多少麻雀や競馬などのギャンブルをやってみて、運の良い人というのは実際に存在すると確信するようになっています。
自分自身は、どうやら突き抜けた強運ではありませんが、まあまあ運の強い方です。
どういう人が運が良いのかというと、やはりポジティブな人。貪欲な人。細かくて、丁寧な人。怖がりな人。
中には豪放な強運の持ち主もいるのかもしれませんが、基本的には前向きな性格でありながら、運を呼び寄せたらそれを手放さないという慎重さを併せ持っている人が強いですね。
運も実力のうち
これはギャンブルだけの話ではなく、人生も同じです。運を呼び寄せる人というのは存在します。
そういう人は出世もしますし、家庭や金銭にも恵まれます。「自分のほうが実力があるのに」なんて嫉妬してもダメです。
運を呼び寄せる才能というのは、それ自体が実力なのです。
そもそも、人は平等に生まれてきてはいません。どういう遺伝子を持ち、どんな家庭に生まれ、誰と出会い、いかなる経験をしてきたか。
すべては運に左右されていると言えます。折れない心や、努力できる才能を持っているのも、運かもしれません。もっと言うと、運が悪かったら今まで生きてこれてはいないでしょう。
なので、身も蓋もない言い方をすると、才能や努力も含めて、今のあなたがあるのはすべて運によるものです。
不運に打ち勝てるだけの力があるのも、運の賜物です。運も実力のうちと言うよりは、運は実力そのものなのです。
人事を尽くして天命を待つ
そうすると、人の一生というのは波間を漂う木の葉に過ぎず、なす術もなく、運という大きな流れに右往左往するしかないのでしょうか。
それは、そうではありません。
最後は運で決まるとしても、より良い方向へ人生を持っていくことができるように、意志を持つことは大切なことです。
運や流れはあると確信していますが、仮にそれがなかったとしても、結局やるべきことは行動であり、持つべきものは意志であることに変わりはありません。
だったら、運のあるなしに関わらず、いつでも「人事を尽くす」べきです。たとえ人生の大部分が運で決まるとしても、残りの部分に全力を尽くしましょう。
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